■ 会 員 便 り ■ 第3回 |
随 想 副会長 鈴木 真利子 国士舘同窓会会員の皆さん,大学での寮生活の経験はあるでしょうか?私は文学部だったので,二年間を鶴川校舎で過ごしました。地方出身の子どもが慣れない地で生活するには寮が一番と親も考え,入学式前に白石駅から朝一番の特急電車(ひばり)と山手線,小田急線,バスと乗り継いで鶴川校舎に着いたのは午後の遅い時間だったように記憶しています。受付を終えると,事前に送っておいた寝具を学ラン姿の先輩が,親に丁寧なあいさつと,私には「押忍!」の激を飛ばした後に部屋まで運んでくれました。女子寮は「すみれ寮」という名称で,案内された部屋には二人の先輩が待っていてくれました。親と離れがたい私を慰め,気遣ってくれたのもこの二人の先輩でした。新潟と岡山出身の先輩方は,もう一人の後輩を待ちながらこれから始まる大学生活や部活,寮生活の諸注意を話してくれました。鹿児島から上京した同期が到着すると,四人揃っての女子会(歓迎会)の始まりとなり,トークが眠るまで続いた(舎監から何回か注意されましたが・・)ことを覚えています。寮生活のルールは厳しく,朝6時の点呼,掃除,廊下の歩き方,あいさつの仕方,他室への入室時間,話し声,夕方の点呼等土日もなく,点呼に遅れると無断外出とされ繰り返せば親に報告,退寮となることから学生生活を謳歌する余裕もなく,ひたすら暮らすということにのみ意識をむけていたように思います。(もっと前の先輩や運動部は更に厳しい規則や縦社会の縮図を思わせるような生活だったことは見聞きしていました)ただしそのような生活を終え,自立し,一人暮らしを始めた先輩の凛と姿をみるにつけ,かくあるべきということを自覚したことも記憶にあります。 |
■ 会 員 便 り ■ 第2回 |
先人に学ぶ「飛耳長目」の教え
会 長 佐々木 稲 生 東京の世田谷に、松陰神社通りという商店街があります。この辺りは40年も前に私が学生時代を過ごした所で、年末に上京した折りに訪ねてみました。付属の中学高校を併設する母校は、モダンな建物になって昔とは比べようもない程の外観に隔世の感がしました。しかし、区役所や閑静な住宅街であった街並みはさほど変わっていないので、学生時代が懐かしく思い起こされました。 |
■ 会 員 便 り ■ 第1回
独り言の「若者にお薦め会津への旅」を紹介します会 長 佐々木 稲 生
最近、NHKの大河ドラマを見る若者が増え、特にいろんな場所で「歴女」と言われる歴史好きの女性達の話題も良く耳にします。
これまでのような歴史小説と違って、ライトノベル的な歴史小説が出てきてさらっと読めるようになったことや、インターネットの普及によってアニメや漫画に登場する人物のフアンになったりするなど、若者や女性が歴史ものに入りやすくなったからだと言われています。ゲームソフトの「戦国BASARA」などの格好良いキャラクターへの憧れなどから、戦国武将のグッズを扱う店の大半が若者や女性で占められているそうです。このようなこともあってか、歴史好きの若者は憧れの歴史上の人物に関連する地域へ旅行したり、グッズや書籍を購入したり、ゆかりの地域での関連イベント参加にしたりしているのを良く見かけます。伊達政宗ゆかりの地である仙台城址や瑞鳳殿や、その家臣の片倉小十郎の白石でも女性を中心とした若者の観光客が増え、白石市ではその人気にあやかって政宗と小十郎に関するイベントを盛んに企画していると聞いています。
さて、最近の現象として、歴女や若者に人気を集めている歴史上の人物というと直江兼続や石田三成、さらには森蘭丸や新選組の沖田総司などがいます。いずれも「義(正しい行い)」を重んじ、気骨を持って生きた人物という点に共通点があります。この理由を、頼れるリーダーの不在の時代に「潔さや友情、勇気といった現代に欠落したものをもたらしてくれる」人物に、自らの「人生の指針を求める」のに対し、女性や若者の場合は特定の歴史上の人物やその人間関係への「萌え(好意)」と分析している人もいます。
ところで、現在放映中の大河ドラマの「八重の桜」は、福島県の会津の人々を中心に江戸時代の終りから明治時代へ、幕末の戊辰戦争から明治維新という我が国の大きな歴史上の転換期の話です。この中に出てくる会津若松鶴ヶ城の城主であった「松平容保(まつだいら かたもり)という人がいますが、この殿様が大変人気を博し、原発の影響を受けて減りつつあった会津への観光客が、今や女性や若者達を中心に盛り返していると聞いています。
私はある時に、この人物のことをまとめた小説を夢中になって読んだことがあります。そこには「義」に生きる「松平容保」を題材に、幕末に会津が中央政界に巻き込まれた悲劇の出来事が描かれていました。早乙女貢という作家が、1971年から30年余りの歳月をかけて書き上げた「会津士魂(集英社文庫)」という全21巻にも及ぶ超大作の作品です。作者は会津の生まれで、会津をこよなく愛し、2008年の12月に82歳で亡くなった直木賞作家で、正に渾身の力をふりしぼって書き上げた「会津士魂」は、これまで余り描かれることのなかった敗者の立場から幕末、維新史をとらえ直したものです。文中では、幕末に京都の治安を守るために上洛してから、朝敵の汚名のもとに会津が官軍(新政府)の総攻撃を受けての鶴ヶ城の落城と白虎隊の悲劇、そして家臣団の斗南(青森県の下北半島)移住などが描かれています。特に明治における会津の人達の想像を絶する苦難を藩主「松平容保」を中心に、「義」に生きた誇り高き「会津人」の心意気を世に問うたものです。
同じように「松平容保」を描いた短編として、司馬遼太郎の「王城の護衛者(講談社文庫)」があります。この作品の読者の感想としての、「義」に生きた「松平容保」に共感した部分を紹介します。『正に悲劇としか言いようがないのだけれど、幕末の渦の中に揺るがぬ忠義と少年のように細い華奢な彼の容姿と相まって、風の吹き抜けるような爽やかさを感じる。あの新選組の近藤勇が忠節を尽くし続けたのも納得。新選組への理解を深めるためにもこの一冊を読むべし』。この作品も、彼の生涯を通して会津藩の悲劇というものが、会津側から良く見えてきます。
あの大震災の前までは、宮城県の小学校の76%が6年生の時の修学旅行に、50年も前から会津方面に行っていたそうです。猪苗代の野口英世記念館、鶴ヶ城から飯盛山の白虎隊の墓前で詩吟や剣舞を見学、さらに復元された藩校日新館を訪れ、東山や芦ノ牧の温泉での泊まるがお決まりコースのようでした。子ども達を迎える物産館の方によると、宮城県とは歴史的に深いつながりがあって、伊達政宗との関係始め幕末の官軍(新政府)の会津攻めの戊辰戦争のときに、仙台藩が中心になって会津を助けたことや、当時の内戦の跡が残っていることで歴史学習に適していたり、隣接県という距離的なこともあって小学生の修学旅行先なったのではと話していました。
このようなこともあり会津は多くの人にとって馴染みの土地かと思います。会津の原発事故の風評被害を受けて大変だとも聞いていますが、今話題の役周りとして知られる「松平容保」ゆかりの地を訪ね、市中に点在する多くの史跡を散策しながら初夏の旅を楽しみ、出会った会津の人を励ましてもらいたいものです。